朱鷺っぴいが発達障害と診断されてから今まで

こんにちは、朱鷺っぴいです。

ここではプロフィールページに書ききれなかった略歴について語っていこうと思います。

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大まかに言うと不登校大学浪人大学中退、そして就労支援作業所に通所などを経験してきました。

生まれつきの発達障害やその二次障害であるうつ病の話も混じえてお話ししていこうと思います。

かなり長い自分語りになるので興味のある方だけどうぞ〜(笑)

 

目次

 

中学生の時にうつ病を発症

もともとコミュニケーションを取るのが苦手

私は小学生の頃までは少しおとなしい程度の何の変哲もない子供でした。

仲のいい友達もいるし、大きな病気にもかかったことはないし、人間関係で特に目立ったトラブルもなく、親や先生の言うことはちゃんと聞く”いいこ”だと認識されていたくらいでした。

 

一つ問題があったとすれば、高学年に上がるにつれて仲のいい友達とクラスが離れてしまい、その友達がいるクラスに遊びに行ってばかりで自分のクラスの人達とうまくコミュニケーションがとれませんでした。

近くの席の男子が気を遣って話しかけてくれても、私は何をどうやって話せばいいのかわからずに黙っているばかり…。

友達がいるクラスでは誰とでも普通に話せるのに自分のクラスでは全く喋ることができない、そんな悩みを抱えながらもそれ以外には特に問題もなく、小学生らしい日々を過ごしていました。

 

中学に上がってからは「もう少し自己主張ができるようになろう」と思い立ち、小学生の頃より少し積極的に他人と接するようになりました。

部活動も始め(人数が少なかったので同好会でしたが…)、班長になってリーダーシップをとったり、自分で考えた学級目標が採用されて他の子と一緒にシンボルマークを考えたりと、充実した中学校生活を送っていました。

 

体に異変が起きるも「異常なし」

ところが中学一年生の冬休み明けのある日、突然体調が悪くなり倒れてしまいました。

熱があるかよのうな体のだるさや鼻の奥のツンとした痛み、他人の声が頭にガンガン響くなどの症状がありました。

他にも以前なら5分とかからずに解けたはずの計算問題が30分経っても解けない、友達や家族と会話しようとしてもうまく言葉が出てこなくて思ったように会話が成り立たないなどの症状も…。

 

最初は私も親もただの風邪だと思い、当時のかかりつけの小児科で診察してもらうも「特に異常なし」との診断。

他の内科や耳鼻科などにも行きましたがどこに行って診てもらっても「異常なし」

結果、大きな大学病院への紹介状を書いてもらうことに…。

 

いろいろな検査や問診を受け、最終的に診断されたのが「重度のうつ病」

当時、その大学病院の外来に空きがなく、すぐ診てもらうためには入院が必要とのことだったので急遽入院することに。

物心ついてからの初めての入院でした。

 

なぜ突然「重度のうつ病」に?

今思い出しても“特別大きなきっかけ”というものはありませんでした。

当時の主治医にも「内因性のうつ」だと説明された覚えがあります。

ようはショックになるくらい大きな出来事(身内の死や壮絶ないじめなど)があったわけではなく、元々の内向的な性格による日頃の小さなストレスの積み重ねが原因で、それが許容量を超えて一気に溢れ出てしまったのではないかということです。

例えば班長として班のみんなの意見をまとめ上げるのが大変だったり、部活で次期部長に就任させられる予感がビンビンしてたりといった小さな悩みですね。

それが積もり積もって爆発してしまったわけです。

 

理由もなく不登校デビュー

1回目の入院時は初めて「うつ病」(しかも重度)と診断されたこともあって、ただひたすらに放心状態になっては時々思い出したかのように「学校のテスト勉強しなくちゃ…」と母に実家の自分の部屋から教科書やワークを持ってきてもらうように頼んでいた覚えがあります。

まぁ結局ドクターストップがかかって退院しても学校の学年末テストは受けさせてもらえませんでしたが…笑

入院してたので授業もまともに受けてない状態でテストなんて受けて結果が悪かったら尚更うつが悪化してしまう恐れがあるからダメ!とのことでした。

おそらくこの頃の私は今までの人生の中で一番真面目で勉強熱心だったと思います。笑

 

先生方からのご配慮もあり、何とかスムーズに進級して中学二年生に。

一学期のはじめの頃は普通に学校に通えていたのですが、GW明けからまた調子が悪くなり学校に通えなくなります。

不登校生活のスタートです。

うつ病と診断された時と同じように、特別何か大きな出来事があったわけではありません。

ただ、とにかく「学校に行きたくない」

人間関係に問題があったわけでもなく、勉強ができなかったわけでもない。

理由は特にありませんでした。

不登校時代の話や不登校の子どもへの接し方はこちらの記事にも書いてあります↓

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一日中家に引きこもりパソコンの前から動かない、そんな昼夜逆転した生活を送り初めて親に反抗し口論を重ねました。

主治医の先生もそんな私を見かねて「ベッドに空きがあるからもう一度入院してみる?」と提案してきました。一度は断ったのですがなんだかんだで結局入院することに。

中二の夏、2回目の入院です。

 

2回目の入院で発達障害が発覚

1回目の入院と明らかに違ったのは、同じ病室の子たちととても仲良くなったことです。

当時はまだ未成年だったので精神科ではなく小児科病棟に入院していました。

なので自分と近い年齢の子たち(小学生から大学生まで)が同じように入院しており、趣味の話などでとても盛り上がりました。

また、1回目の入院と違ってそれなりに自由に病院内を出歩くことができ、私にとってはそれが嬉しくてしょっちゅう購買や自動販売機などに出向いてはお小遣いを使っておやつを買っては食べていました。

消灯時間を過ぎてもベッドの中でゲームをしていたり「あの看護師さんカッコいいよね〜!(※女の人です)」と同じ病室の子と盛り上がったり……完全に好き勝手やっていました。

そんな私の様子を見て主治医の先生が心理テスト(IQテスト?)をやってみないかと持ちかけてきました。

今で言うWAIS-IIIなどの子供版のようなものだったかと思います。

何日かに分けて慎重に時間をかけてテストを行いました。

診断結果の報告には親も呼ばれて父と母の三人で聞きました。

 

結果は、当時で言うところの「高機能広汎性発達障害」

今で言う自閉症スペクトラム障害のようなものです。

人によって様々な症状が見られますが、私に当てはまるのは

  • コミュニケーションをとるのが苦手
  • 変に頑固なところがある
  • 興味のあることに対してとことん突き詰める
  • 柔軟に物事を考えるのが苦手

などなど…。

私の障害特性についてはこちらにも書いてあります↓

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当時はあまり耳にしたことがなかった発達障害、しかもその特徴は言ってしまえば誰にでも当てはまることばかりで何故自分だけが障害だと言われているのかわからない。

当時は親も私も発達障害の診断を受け入れられませんでした。

そして自分の障害を受け入れられず苦しむ日々がこれから数年ほど続きます。

 

フリースクールを利用して心に余裕が生まれる

二回目の退院後も相変わらず不登校生活は続きます。

そんな私を見かねて主治医の先生がフリースクールを紹介してくれました。

そのフリースクールは全国的にも珍しい「訪問型のフリースクール」で、ボランティアスタッフの方が自宅まで訪問してくれて自分の家の中で数時間ほど一緒に好きなことをして過ごします。

もちろん「居場所」となる共用スペースも存在し、そちらに遊びに行くこともできます。

不登校で引きこもりの私でもこれなら利用できそうだと思い、当時大学生のお姉さんだったボランティアスタッフの方に週一で訪問してもらうことになりました。

 

私は当時から絵を描いたりゲームをしたりするのが好きだったので、訪問の日も同じように好きなことをして過ごしていました。

スタッフのお姉さんは穏やかで優しい方で、ちょっとおちゃめなところもありました。

おすすめの漫画を紹介してもらったり、一緒にパソコンで動画を見たりして過ごしていくうちに「訪問だけじゃなくて共用スペースの方にも遊びに行ってみたい!」という気持ちが芽生えてきます。

 

共用スペース、いわゆる他のフリースクールと同じような「教室」に遊びに行ってみると、そこには小学生くらいの子から高校生くらいの人までさまざまな年齢層の利用者がいました。

人数もそれほど多くなく、大体平均して4〜5人の利用者とスタッフの方が数名常駐している感じでした。

この教室でも特に決められたスケジュールというものはなく、絵を描いたり本を読んだりパソコンをしたり、好きな時に好きなことをしていい場所でした。

この自由なスタイルが私にとって非常に心地よく、学校には通えないけどフリースクールには通えるという状況に変わっていきました。

 

高校進学に向けて

そんなこんなでフリースクールに通い始めてからは学校行事や定期テストの日だけは学校に行くことができるようになったり、教室には入れないけど保健室登校ならできるようになったりと徐々に変化していきました。

フリースクールに通うことができて少し自信がついたというのもありますが、一番の理由は高校進学があったからです。

学校に行きたくない不登校の私でも、このまま中卒で社会に出るのは厳しいし、自分にはまだ無理だという自覚はありました。

そして何より「周りのみんなと同じように高校に進学したい」「”普通”になりたい」という思いが強かったのが高校進学を決めた大きな理由です。

しかし、学校に通ってもいなければ家でもまともに勉強をしていなかった当時の私の成績や内申点は非常に低く、受験できる高校は限られていました。

中には欠席日数が多すぎるという理由で事前の面接すら拒否された学校もありました。

 

そんな中でとある女子校と出会い、親と一緒に面接に行き、ついでに学校見学までさせてもらうことができました。

面接を担当してくださった先生は「この学校に通いたいという意志があるのなら受験してもらって構いませんよ」と不登校の私を受け入れてくれました。

もちろん受験当日に試験で点数を取らないと入学はできませんが、内申点だけで評価・判断するのではなく事前に面接をしてありのままの私自身をちゃんと”見て”くださったことには今でも感謝してもしきれません。

その後、学校見学ということで先生方と一緒に校舎を見て回ったのですが、生徒の人たちもとてもあたたかく出迎えてくれてみんな自由で楽しそうに学校生活を過ごしていました。

それを見た時、私は初めてこの学校に通いたいと強く思うようになり、志望校を決めることができました。

 

高校デビューで充実した学校生活

演劇部に入部

上述した志望校になんとか合格できた私は中学からも不登校からも卒業して高校へと進学します。

同じ中学から来た人は誰もおらず、周りはみんな初めて会う人ばかり…。

もう不登校にはなりたくない!私はこの高校で生まれ変わるんだ!という強い気持ちから私は軽い高校デビューを果たします。

なんと演劇部に入部したのです!

もちろん根暗でコミュ障な私には演劇経験は全くありません。

小学生の頃の学習発表会でもセリフが一言だけの村人Aとかでした。

そんな私が何故演劇部に入ったかというと、新入生歓迎会の時の寸劇がとても面白くて、不思議なことに自分でもやってみたいなと思ったからです。

部活に入れば学校生活がより楽しくなるに違いない!という思いもありました。

 

ですがこの演劇部、非常にハードな部活でした!

週5で部活があり、毎朝8時頃に部室前に集合して軽い打ち合わせをし、放課後は舞台に長時間立っていられる体力をつくるために走り込みや筋トレを欠かさず行う…。

多分へたな運動部よりも運動してたと思います。(笑)

先輩の指導も厳しく、顧問の先生も最後までつきっきりで面倒を見てくれるので特に公演前は土日もびっしり朝から晩まで部活三昧でした。

ついこないだまで不登校だった私には体力的にも精神的にもこれ以上ないくらい辛くて大変でしたが、いざ本番を迎えて舞台に立つと楽しくてしょうがない!

役を演じきった”私”のことをたくさんの人が見て笑ったり泣いたり感動したりしてくれるのがとても嬉しくて胸がいっぱいになりました。

まさか私が演劇をするなんて!と両親も驚いていましたが、舞台を観に来てくれたときは「まるで別人のようだった」と喜んでくれました。

 

行きたい大学がわからず、進路に悩む

充実した高校生活はあっという間に過ぎ、また進路を決める時期がやってきました。

クラスの友達はみんな推薦入試やAO入試などで早々に進路を確定させていましたが、私はというと行きたい大学すら決まらない状況…。

また、中学の時ほどではありませんが遅刻や欠席も多かったので推薦入試は期待できませんでした。

となると受験勉強をして一般入試を受けるしかない…。

高校が私立で授業料がとても高かったため「大学行くなら国公立にしなさい」「地方の大学に行っても仕送りはできない」と親に言われました。

しかし、高校生活はほぼ演劇に捧げていた上に私が所属していたクラスは推薦入試に特化したクラスで履修していない科目も多々ありました。

行きたい大学も学びたいことも、もっと言えば将来なりたい職業もなく、進路についてモヤモヤした気持ちでいっぱいでした。

とりあえず家から直接通うことができる旧帝大(国公立)の大学を目指して受験勉強をしました。

今考えると無謀ですが、当時はそれしか選択肢がないと思い込んでいました…(-_-;)

 

塾に通いながら未履修の科目を半分独学で勉強し、何とかセンター試験を受けるも旧帝大を目指すには圧倒的に点数が足りず断念。

ここで悔しい!という気持ちが湧き、浪人してでももう一回チャレンジしたいと思い始めます。

ですが、何の結果も出さないまま浪人はさせてもらえないと悟り、とりあえず志望校を旧帝大から地方の国公立大学に変更します。

地方の国公立大学なら私のセンター試験の成績でもギリギリOKで、二次の筆記試験が一教科だけだったので全力でそこを目指して勉強しました。

結果、地方の国公立大学に合格することができました!

 

しかし、私の真の目標は旧帝大。

合格通知書を親に見せた後、土下座して頼んで大学浪人させてもらうことになりました。

 

自分なりに勉強はしたけれど…

高校の友達がみんな大学に入学した頃、私は一番費用がかからない予備校に通い再び受験勉強を始めます。

旧帝大を目指すということで5教科7科目を一から学び直しました。

ですが、予備校に通っているとはいえ“学生”という身分を失い一年間ずっと勉強に明け暮れる毎日は想像以上にキツく、十分と言えるほどの勉強は全然できませんでした。

自分なりに努力した結果、センター試験の点数は現役の頃よりも確実に上がっていて、得意科目はなんと満点でした!

全教科平均すると7割ちょっとくらいで、ギリギリ旧帝大を目指せるかな?という感じだったので二次試験も受けることに。

しかし残念ながら二次で点数を取ることができず不合格…。

ちなみに親からは「そんなに旧帝大に行きたいなら他の大学は受けるんじゃない!」と言われていたので滑り止めを受けることができず、成り行きで二浪することに…。

二浪目はもう一切の気力が湧かず、ほぼ引きこもりのニートのような生活を送っていました。

 

絶望から始まった大学生活

バイトにサークルに大忙し!

とにかく大学には行きたい(というよりそれ以外の道が思いつかない)ということで、一年間ほぼ勉強しなくても受験したら合格できた元滑り止めの私立の大学に通い始めます。

周りはほぼ現役生なので年下で、しかも学部の関係上男の人が多かったためあまり馴染むことができませんでした。

また、親は学費は払ってくれるけどお小遣いなどは当然もらえないため、バイトをして自分に必要なお金を稼ぐことに。

さらに「また演劇がやりたい」という気持ちもあったので演劇サークルにも入りました。

 

無理をしすぎてうつ病を再発

勉強にバイトにサークルと、高校時代の部活以上に忙しい毎日を送っていました。

ただでさえ大変なのにバイト以外の人間関係が全くうまくいかず、精神がゴリゴリと削られてある日突然バイトにも学校にも行けなくなります。

はい、うつ病の再来です。

体が動かなくなり涙が止まらないという状態になって初めて自分がめちゃくちゃ無理をしていたということに気づきました。

学校は休学、バイトは一応長期間のお休みという形にしてもらいましたが結局復帰することなくやめることになりました。

 

相談所とスクールカウンセラーのお世話になる

丸一年休学して一時的に体調が良くなり、再びサークルに顔を出したりして過ごしていました。

しかしそれも束の間、GW明けの五月病の時期にまた調子が悪くなりうつのどん底まで落ちます。

もう幾度となくうつ病を再発してきましたが、このままじゃダメだ!と危機感を覚え、以前フリースクールのスタッフの方から教えてもらった近所にある障害者相談支援事業所に相談に行きました。

障害者相談支援事業所とは、障害を持った人の生活の支援のために各関係機関と連携して安心した生活を送れるようサポートしてくれる場所です。

私はとにかくわけもわからずその相談所に足を運びました。

後から聞いた話だと、本来は事前に電話してから利用すべきだったのですが精神的に追い詰められていた私はそこまで考えが及びませんでした…(-_-;)

幸いなことに職員さんが話を聞いてくださるとのことだったので、私は訳あって大学を休学していること、うつ病と発達障害で今までも辛い経験を何度か繰り返してきたことを話しました。

今の引きこもり状態から抜け出したい!ということで相談所の職員の方が大学のスクールカウンセラーの方に連絡をして予約を取ってくれたり、就労継続支援B型作業所というところに一緒に見学しに行ってくれたりしました。

就労継続支援B型作業所とは、障害を持っていて一般の企業などに就職して働くことが困難な人が軽作業などで就労のための訓練をして一般就労を目指す福祉サービスです。

大学のスクールカウンセラーの方とは主に「大学を辞めるのか続けるのか?」という話と「発達障害を専門に見てくれる病院を探す」ためのお手伝いをしてもらいました。

結果的に大学は辞めて就職継続支援の作業所で一般就労を目指すことにしました。

 

作業所で新たな人生を歩む

最初は顔を上げることすらできなかった

私が大学を辞めて就労支援の作業所に入所したのはうつ病真っ盛りの時でした。

私に話しかけてくれる職員の方や同じ利用者の方と目を合わせて会話することもできず、ずっと下を向いて鬱々とした気持ちで過ごしていました。

私のうつは季節によって悪化する特徴もある(冬季うつ)ので、冬になるとさらに体調が悪くなり作業所に通えない日もありました。

ですが1年、2年と通い続けるうちにだんだん作業にも慣れてきて、職員さんや他の利用者の方とも笑って会話ができるようになっていきました。

 

賃金の安さに不満を持つようになる

元気を取り戻して活発的になると、次第に作業所の賃金の安さや作業の簡単さに不満を持つようになり始めます。

就労継続支援の作業所にはA型とB型の2種類がありますが、この2つの一番の違いは雇用契約を結ぶかどうかです。

A型は雇用契約を結ぶので最低賃金法が適用されますが、私が通っているB型作業所は雇用契約を結ばないので一般的に時給200円前後のところが多いです。

加えて作業は商品の箱折りや簡単なハンドメイド作品を作るようなものしかなく、何のために私はこんなことをしているんだろうと一度思い始めると頭から離れなくなります。

将来に向けてお金を貯めたくても日々の支出ですぐなくなってしまうし、仕事のスキルアップも目指さない…。

もっと言えば、元々決められた時間に決められた場所に通い、大勢の人の中でみんなと同じことをするのがものすごく苦手な私にとって、通うメリットよりデメリットの方が大きくなると通うのがバカバカしくなってしまいます。

例年通り、冬に近づいてくるとうつ病も悪化するので体調が悪くなってきたタイミングで一度長期休暇をもらい、体と心を休めると共に今後の身の振り方を真剣に考え始めるようになりました。

 

ネットのサービスを使ってお金を稼ぎ始める

とにかくお金をもっと稼ぎたい!

でもバイトや就職ができるならこんな苦労はしてない!

私みたいな奴でも稼げる仕事はないのか!!

と思い、ネット上を検索しまくってみると在宅ワークという言葉を見つけます。

家に居ながらでも仕事ができて収入ももらえる方法がいくつか書いてありました。

有名なところで言うとランサーズクラウドワークスココナラといったクラウドソーシングですね。

最初は貰える報酬も少なめだけど元手0でもパソコンとネット環境さえあれば誰でも始められるという点にとても惹かれました!

早速各自登録をして自分に出来そうな案件を探したり、ココナラでは自分の提供できそうなサービスを探して出品したりしました。

誰にでもできる反面、単価はものすごく安かったですが本当に家にいても収入を得ることができるんだ!と驚きました。

初めて仕事を受注したときのことはこちらに詳しく書いてあります↓

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他にもハンドメイド作品を作ってミンネやクリーマで売ったり、ブログを書いて広告収入を得たりといろいろな方法があって、どれも私にとっては魅力的な話でした。

ぶっちゃけこのブログを作成した当初の目的は稼ぐためです(笑)

今はそこまでギラギラした感情ではなくて

「自分の好きなものをみんなにたくさんオススメしたい!」

「文章を書くことで頭の中を整理したい」

といった目的もあります。

 

現在、一人暮らしと転職のために奮闘中!

ということで作業所の施設長さんに上述したこと全てを包み隠さず相談し、そういう理由でこの作業所を辞めたいと申し出ました。

すると、私の能力に合った作業を取り扱っている別の作業所を探し、そちらに籍を移すまで諸々のお手伝いをしてくれると言ってくださいました!

ネットの仕事一筋でいけばいいじゃん!と思われるかもしれませんが、これには理由があります。

 

現在、私は実家暮らしをしているのですが、近いうちに障害者向けのグループホームに入居しようと思っています。

グループホームといっても老人ホームのような施設ではなくて、小さなアパートの部屋をいくつか借りてそこに住むという一人暮らしに近いような形態です。

そしてそのグループホームに入居する条件として「平日の昼間は就労支援の作業所などに通わなければいけない」というものがあるんです。

 

そもそも何故グループホームに入居したいのかというと、私の場合、実家にいると家事も何もしないし自活能力がいつまで経っても身につかないから家を出たくて仕方ありませんでした。

そこで一人暮らしをして嫌が応にも自分が動かなければならない状況を作れば自立に一歩近づけるのでは?と考えたのです。

そのことをまた作業所の施設長さんに相談したら障害者向けのグループホームを一件紹介してくれました。

いきなり一人暮らしをするよりは生活のサポートをしてくれる人が常駐しているグループホームの方がいいとおすすめされたのです。

グループホームの見学にも行きましたがそこの管理人の方がとても優しい女性で、私が今までに経験した辛かったこと、苦しかったことを一つ一つ丁寧に聞いてくれました。

そして同行してもらった私の母の話も同じように聞いてくれて、私たち親子を温かく歓迎し、今後必要な手続きなどの具体的な内容も詳しく教えてくれたのです。

 

私はこのグループホームの管理人さんがいるところで生活して自立の訓練をしたいと強く思いました。

そのためには苦手な作業所への通所もとりあえずは頑張ろうと思いますし、どうせ通うならとことん自分に合った作業を取り入れているところを選びたいです。

 

今後はまずグループホームの体験利用をしてからいくつかの作業所に見学に行く予定です。

やらなきゃいけない手続きが多くて体験利用は一ヶ月後とかになりそうですが、その間に私はネットビジネスについて詳しく学んで少しでも収入を増やす努力をしています。

ネットビジネスがうまくいけば少なくとも就職に悩む必要はなくなりますからね!

身につけられる知識は今のうちに身につけておこうと思います。

一旦別の作業所に移るという形になってはいますが、将来的にはネットビジネスだけで食べていけたらいいなぁと思っているので勉強あるのみです!

何とかお金を稼ぐためにこんなこともやってみました(笑)↓

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自分に合った生き方をしたい

私は今まで「周りと同じように普通になりたいという一心で生きてきました。

周囲から浮きたくない、普通に学校に通って普通に就職して普通に働きたい、一癖も二癖もある発達障害を持った自分が嫌で嫌で仕方ない……

そうして普通に生きようともがいて、自分の心を幾度となく痛めつけ、その度に挫折を繰り返してきました。

もうこれ以上同じような経験をして辛い思いはしたくない!と思ったので、少し自分の人生の方向転換をしてみます。

自分に合った人生は他の人のそれとは違うかもしれない。

でも、それでもいいんだと心から思えるようになるまで私はいろんなことに挑戦し続けていこうと思います。

やりたいと思えることもたくさん見つかったので一つ一つ経験していきたいです。

 

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ものすごく長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!

また状況が変わったら随時更新していく予定です。

これからもこんな朱鷺っぴいをよろしくお願いします♪(*^▽^*)

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